大学生が「圧倒的成長」という言葉にダマされないために「成長」の意味を定義しよう
まだ「圧倒的成長」で消耗してるの?
ある企業の人事の方に話を伺う機会があったのですが、最近の就活生は「成長がしたい」と口をそろえて言うそうです。
どうやら「成長」がひとつの流行のようになっているのかもしれません。
たしかに、インターンサイトなどを覗いてみても「圧倒的成長ができる!」という文字がよく踊っています。
しかし、僕はこの「成長」という言葉に対して違和感がありました。
そしてこの違和感の正体が分かったので共有したいと思います。
成長とは上に上に伸びていくことではありません。
- まだ「圧倒的成長」で消耗してるの?
- 成長とは、できなかったことをできようにすることではない。
- 成長とは、自分の中の力を見つけ出すことだ
- 「夢十夜」から考える成長
- 自分の中から力を見つけ出すために大事なのは「自己理解」
- おススメ記事!
- 参考文献
成長とは、できなかったことをできようにすることではない。
成長を広辞苑で調べてみると「育って大きくなること、育って成熟すること」と出てきます。
一般的に、成長とは上に上に伸びていくもの、できなかったことができるようになる意味だと思われているのではないでしょうか。
そのため、成長するためには、「上に伸びることをする」「自分にできないことをやる」という考えになります。
しかし、この考え方は、自分についての視点が欠落しているので、無理が生じてしまいます。
できなかったことをできるようにするという考え方の「成長」は、おたまじゃくしが将来くじらになりたいと願うようなものです。
自分のことを理解しないまま、できないようなことを夢見たとしても、それは「成長する」のではなく「高望み」になってしまいます。
成長とは、自分の中の力を見つけ出すことだ
成長とはできないことをできるようになることではありません。
では、成長とはなんなのか。
それは、「自分の中にある力を見つけ出すこと」です。
自分の適性を理解し、それにあった努力をすることで、今までは出てこなかった自分の中にある力を発見する。
これが「成長」だと思います。
「夢十夜」から考える成長
「夢十夜」という物語をご存じでしょうか。
現在(明治)を始め、神代・鎌倉・100年後と、10の不思議な夢の世界を綴った夏目漱石が書いた小説です。
その第六夜に、「成長」の本質にかかわる話が登場します。
話の概要を説明します。
運慶(平安時代末期、鎌倉時代初期に活動した仏師)が仁王像を彫っていました。
その姿を見ていた自分は、隣の男が「運慶は、木の中に埋まっている仁王を掘り出しているだけだ」と言っているのを聞きます。
そこで自分でも仁王像を彫ってみたくなり、家にある木を彫り始めるが、何度やっても仁王は出てこなかった。
というお話です。
この「木の中に埋まっている仁王を掘り出す」作業こそ成長なのではないでしょうか。
「自分(=素材)の中から力を取り出し、形(=仁王像)を与える」ことが大切であることを漱石先生は示唆しているのだと思います。
自分の中から力を見つけ出すために大事なのは「自己理解」
多くの場合、成長はできないことをできるようにすることだと思われています。
それでは、自分の素質や適性の視点が欠落しているため、どうしても「高望み」になってしまう。
では、成長とはどんなものなのかというと、「自分のなかから力を見つけ出すこと」です。
自分の力を見つけ出すのに必要なのは自己理解です。
自己理解の無い成長はただの高望みになってしまうから。
高望みをすることはもちろん大切ですが、自分の適性の無い分野で成長しようとしても無駄骨になったり、最悪精神を病んでしまうことがあります。(経験済み)
ですから、自己分析をしましょう。
自分の適性は自分の過去や現在の状況からしか読み取ることはできません。
自分の視点を取り入れ、自分の力を見つけ出すような成長をすることが大切です。
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