勉強の意味が分からないまま、大学生になってしまった人たちへ【考えることの本質と勉強の意味】
勉強ってめんどくさかったですよね。
それでも親や先生が勉強しろっていうから、何となく続けてきました。
そして今、そのまま大学生になってしまった…。
よく考えてると、大学って本来何しに行くところでしたっけ。
大学は、サークルやバイト、インターンに恋愛…そんな素晴らしい経験をたくさんできる場所です。
しかし、大学って本来どんなところでしたっけ?
勉強したり、研究したりするところですよね。
大学生の今だからこそ、「勉強の意味」について、改めて考えておく必要があると思います。
勉強の意味を考えるために、まずは「考えること」の本質について見ていきましょう。
「考えること」の本質は変化への対応
「考える」ことは、なにかによって頭の中の世界に変化が起こり、それに対応することです。
人の意見や本の考え、テレビから流れてきたオピニオン…これらのものによって僕たちの頭の中に変化が起こります。
この変化に対応するために考えるんです。
自分の頭の中の世界に何か新しい要素が不法侵入してきて、多かれ少なかれ自分の世界が壊される。
そんな時、自分の世界を修復しようとして「考える」わけです。
したがって、本来考えることは人間にとって歓迎されることではありません。
考えるのは、自分の中に事件が起こった時だから。
人間がモノを考えるのは、仕方なく、強制されてのことなんです。
人間は、できれば考えないで済む生活を目指しています。
考えずに済めば楽なんです。
自分の世界に事件が起こっていないってことなので。
逆に言えば、考えることは苦しい。
自分の中で事件が起きているってことだから。
この苦しい「考える」作業をあえてさせるのが勉強です。
勉強する意味
考えることは、「自分の頭の中の世界が壊され、それに対応する」ことでした。
勉強はあえてこの苦しい作業をさせます。
ではなぜ苦しい作業をさせるのか?
それは、頭の中での事件に対抗するための予行演習をするためです。
例えば、あなたは数学を勉強したことがありますよね?
数学を勉強すると、わけのわからない数字の羅列が頭の中に入ってくる。
で、どうやってこの問題に正解を導きだせるのか、必死で試行錯誤します。
最終的に答えにたどり着く。
このような勉強で大切なことは、問題を解く過程と「わかった!」という感覚です。
数学の問題がわからなくて、間違えて、試行錯誤して、それでも間違えて…
この過程で頭の中の事件に対応する方法を学び取ることができます。
そして実際に頭の中の世界が、ワケのわからない問題で壊されてしまった時に、勉強で得た方法で修復できるようになります。
もう一つ大事だったのが「わかった!」という感覚。
この感覚は、頭の中の事件が解決した時の感覚を、体に覚えさせるために必要です。
思考を止めていい時のシグナルを学んでいます。
考えるということは本来歓迎されていないものなので、無駄に考えすぎることを防いでいるんです。
これらの
- 問題を解く過程
- 「わかった!」という感覚
を得ることが、勉強の本当の意味ではないでしょうか。
勉強が本当に活きる時
大学生になり、社会を経験するようになると、わけのわからない状況にたくさん出くわします。
バイトで数値を上げないといけないのに全然上がらなかったり、インターンや就活の面接で落ちまくったり。
そんな時、頭の中に「お前はダメだ」という自己嫌悪や「あいつダサくねぇ?」という友人の声が入ってきます。
この自己嫌悪や悪口は、自分の世界を壊す一種の事件なんです。
事件に悩まされた時、「考えること」が武器になります。
頭の中で起こる事件に負けないために、勉強で培った「考えること」を使う。
そこで初めて勉強の意味を知ることができます。
さて、僕は勉強を続けようと思います。
あなたは?何を勉強するんですか?